fc2ブログ
2012
11.29

日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか その3(最後)

Category: 生きもの
今日の一冊:日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか(本棚から)

今日紹介するのは、第5章から最後までです。

中盤以降は難しい話がたくさんありましたが、
すごく単純に、キツネに化かされるという経験、
そしてその経験をした人の話を聞くこと自体に、憧れがあります。

古きよき日本とその時代の人達の暮らしや、
当時の生活を物語る人達のまなざしに出会うことが出来れば、
今の、未来を信じにくい、夢が失われやすい日本から、
変わっていけるのではないかという気がしました。

今日読んだのは次の2章です。

第5章 歴史哲学とキツネの物語
第6章 人はなぜキツネにだまされなくなったのか

ネタバレ感想は続きを読むからどうぞ。

本の紹介と2章まで、3章と4章はそれぞれ以下のページで紹介しています。
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか その1
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか その2


良かったらぜひ押してください↓
にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村


第5章は、第4章に引き続き、歴史とはどういうものかを掘り下げています。
これまでに研究され、まとめられてきた歴史とは、
特に知性によって把握されてきたものなので、
本来のそれ以外の視点から見える、広大な見えない歴史が存在しているはず。
知性が絶対の価値観として広まっているため、
知性によってとらえられないものをつかむことができなくなり、
そのために、人間がキツネにだまされた物語が生まれなくなった、
というのがおおよその内容のようです。
かなり哲学的な感じで、読みにくい章でした。

第6章は最終章。
これまでの振り返りも入ったうえで、
人がなぜキツネのだまされなくなったのかという、主題の章です。

人口が増えるにつれて、暮らし易い場所だけでなく、
暮らしにくいところでも、自然に手を加えて住み始め、
そこに村が成立していった。
そして村では、自然だけでなく様々なものが暮らし易いように変えられ、
その中には、神や仏、人間の生と死なども含まれている。

そのような村では知性によって理解されることのない、
人間の直感や、繰り返してきた経験から得られる技術など、
多くのものが人づてに伝えられ続けてきた。
自然の歴史と人間の歴史が一体になっている世界。
そういう暮らしが成り立たなくなってきたのが1965年ごろだったため、
その頃から人はキツネに化かされなくなり、
化かされる物語が生まれなくなっていった。
ということで締められています。

今では化かされるどころか、キツネを見たことがある人の方が、
まれなのではないでしょうか。
私自身も、野外では1回しか出会ったことがありません。

一度タイムスリップして、そういう暮らしや考え方を体験してみたい、
と思ってしまいました。
スポンサーサイト



トラックバックURL
http://monogatarigatari.blog.fc2.com/tb.php/17-619e234b
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top